年賀状は毎年面倒!でも年賀状が無かったら、人生が寂しすぎる

面倒に感じていた年賀状に対する考え方が変わったきっかけは友人の言葉

私は毎年、年賀状の用意をするのが面倒でたまりませんでした。

なるべく自分が嫌にならないように、デザインと宛名パソコン任せにしています。

10年前は、好みのデザインの物をわざわざ買いに行ったり、子供の写真を載せるために、写真屋さんに注文したりと、年賀状には結構手間暇かけていました。

今は余りにも手を抜いているのがバレないように、せめて自筆で一言添えるようにしていますが、もうそれも面倒です。

いざ書こうと思っても、もう何年も会っていない相手に何を書けば良いのかわからないのです。

もしかして相手も今更私から年賀状をもらっても、返事に困っているかも知れないと思うと、年賀状を辞めるのが一番良い方法に思えてきます。

年賀状だけのつながり、これに意味があるのかと毎年考えていました。

でもそんな時に、知人が「年賀状だけのつながりだからこそ、大切にしたい。」と私に言ったのです。

彼女は、普段は会えないけど忘れていないよ、あなたが大切だよ、と言う思いを込めて年賀状を出しているそうです。

だから彼女は毎年100枚を超える年賀状を出しているのです。

そんな暖かな考えもあるのかと、私は目からウロコが落ちる思いでした。

年賀状だけのつながりだと思っていても、縁があればいつかまた会えるかも知れないのだから、その縁を大切にすると言う意味でも年賀状は大切なツールなのかも知れません。

面倒だからと切り捨てるばかりでは、生活そのものが狭まってしまう気がします。

私の母は亡くなるその年まで年賀状を出し続けました。

私が毎年パソコンで印刷した年賀状を母に渡していました。

年賀状は、歳を取って自由に出歩けなくなった母の最後のつながりだったのでしょう。

先程の知人が年賀状だけのつながりも大切にしたい、と私に言ってくれなければ、私はもしかして母に年賀状を作ってあげなかったかも知れません。

「もう歳なんだから、年賀状は失礼した方が良いんじゃない。」

などともっともらしい事を言って、母から最後の人とのつながりを取り上げてしまったような気がします。

だから実際に、最後まで母に年賀状を作ってあげる事ができて本当に良かったです。

母が色々な人と関わりながら、豊かな人生を送った事に、私が作った年賀状も一役買っていたのではないかと勝手に思って、勝手に私は満足しています。

ところで私自身の年賀状はどうしましょうか。

まだこれだ、と言う程に考えはまとまっていません。

でも、自分の気持に嘘はつかないで、でも何もかも切り捨てる事はしないで、良い方法を探して行ければ良いと思っています。

私は今52歳です。残りの人生に人との縁があるのなら、それを大切にしたいと思っています。

だからやっぱり年賀状は大切にしていかなければいけませんね。

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